舞台監督の誇り
私が尊敬する演劇人の一人にAさんという方がいます。
この方は劇団芸協に以前所属されていて、主に舞台監督として活躍されていました。
私もあちこちの劇団で裏方の手伝いをする事が多いですが、Aさんの舞台監督としての仕事振りを見て、
とても驚いた事があります。
それは以前、飯能で行われた劇団芸協との共同企画での事でした。
Aさんが舞台の仕込みを図面通りに終え、演出のあずさ先生の最終チェックを受けていました。
私はAさんの手伝いをしていましたが、あずさ先生はAさんに「ここをこう直せ」と指示を出しました。
あずさ先生のその一言を聞いて「え?!いまさらそんな事言われてもそれは無理なんじゃ?!」
と慌てました。
その指示とは「舞台を全部バラして最初から組みなおせ」とほとんど変わらなかったからです。
舞台を直した後に照明の場当たりや音響のきっかけ合わせ、通し稽古をその後にするには
到底間に合うとは思えませんでした。
しかし、Aさんは「はい、わかりました。」と表情も変えずに即答し、すぐに作業にかかり始めました。
その答えにまたびっくりし、「Aさん、ホントですか?!」と思わずにいられませんでした。
Aさんは人員を集め、作業の指示を出し、こま鼠のように忙しく動き出しました。
自分もこうしてはいられません。自分の役割を一生懸命こなしました。
殺気だつわけでもなく、あっという間に時間が過ぎました。
作業が終わり、二度目のチェックにOKを貰いました。
時間を見ると、タイムテーブル通りに収まっています。ただ、休憩時間が削られただけでした。
「すげえ、間に合っちゃった・・・」
頬に汗を垂らしながら脱力感の中でそう呟きました。
以来、自分が舞台監督をすることがあればAさんの姿勢を見本にしよう、と思いました。
その後、Aさんとまたご一緒する機会がありました。
劇団芸協との提携公演です。舞台監督は、当然Aさん。
・・・しかし、ここで問題発生。
Aさんは仕事の都合で公演前日の仕込みに来れないかもしれない、というんです。
急遽、代理を立てました。
いったい誰が? 私です。・・・うそでしょ(汗)
「少林ちゃんなら大丈夫だよ」というAさんのあまり根拠を感じないお言葉をありがたく頂戴し、
不安を抱えながらやることにしました。
図面とにらめっこしながら芸協の若手に指示を出して舞台を組んで行きました。
「これで大丈夫か?」「これでいいのか?」と内心ヒヤヒヤしながら・・・
いつもの身内の公演ならともかく、あのあずさ先生のいる中での役目はかなりプレッシャーを感じました。
「Aさん、早く帰ってきて~」と何度心の中で叫んだ事か・・・
だいたい舞台が組みあがった頃、Aさんがひょっこり顔を出しました。
その顔を見たとたん、思わず言いました。「Aさん、とっても会いたかったですぅ~!」
「え?なんで?(笑)・・・あ、もうできてるね」
しかし、どうしてAさんがいるだけで安心感がこんなに違うんでしょ。
一応舞台の細部をチェックしてもらい、OKが出た時はすごくホッとしました。
こんな事なら、役者として舞台に立つほうがぜんぜん気が楽です。
その公演はつつがなく進み、好評のうちに幕を下ろしました。
その打ち上げの席で「少林ちゃん、期待通り良くやってくれたね~」とか
「もう裏方でもプロだよ」なんて身に余る言葉を掛けていただきました。
私はこう答えました。
「いやいや、Aさんの代理なんて正直荷が重かったです。とんでもないプレッシャーでした。」
「そうだったの?ただ黙々とテキパキとやってたように思えたけど?」
「いえ、いっぱいいっぱいでしたよ~。
舞台の仕込みの終わり頃にAさんが来たとき、心底ホッとした位ですから」
「えー?少林ちゃんがそんな事いうなんて意外だね~」
続けてこう言いました。
「Aさんは本当にスゴイとおもいますよ。前回ご一緒した時に一見無理だと思えるような要求に
顔色も変えないでイエスって言うんですから。
しかも予定を狂わせないでこなしちゃったんですよ。
もし、あの時自分が舞台監督だったらNO,と言うか妥協点を探したでしょう。
Aさん、ほんとに尊敬しちゃいますよ。
今回どうにかうまくいったのはAさんの姿勢を見ていたからですよ」
するとAさんが
「そうだったんだ。・・・たしかにね、あずさ先生のダメ出しにNOって言った事ないなぁ…。
NOって言わない事が俺の裏方人生の誇りなのかもね」
と、ちょっと照れながら言っていました。